山と金麦

山と酒、漫画に文学。雑多な日常。備忘録。

維新商店「柚子塩そば」

 

塩ラーメン。

和食の真髄である”引き算”の精神をどんぶりの中に漂わせ、澄んだスープは見るものの心を癒す。あっさりとした味わいは社会の歯車となり磨耗してしまった心を柔らかに包み込む。”塩”という不変の調味料を使うことで、塩ラーメンの見せる味の展開はもはや天衣無縫。

 

そこで今回の店である。

 

度重なる改修の末にダンジョンと化した横浜駅から徒歩10分。ひっそりとした路地裏にこの店がある。

 

維新商店

tabelog.com

横浜界隈でもトップクラスの地位に居続ける強者。

 

前から気にはなっていたが、何しろ横浜に用がない。

たいていの用事は都心で済むし。横浜に用があっても、中華街とかみなとみらいの方に行ってしまうし。中華街が醸し出してる非日常な雰囲気がたまらなくてついつい行っちゃうんだよな…。サンダル+白Tシャツ着たおっさんとか。店の前で腕組んで寄りかかっている目つきが猛禽類なおばちゃんとか。

言い訳がましいがこれだけは如何ともし難く、長らく訪問の機を伺っていたままになっていた。

 

店の前に5~6人が並んでいる。

春のうららかな天気。気持ちの良いひととき。

…とはならずに花粉症に苦しむ。コンタクト外そうかなぁ…でも外してる最中に列が動いたらパニクっちゃうなぁ…というよりメガネもってきてないなぁ…と思いながら永久にも思えた10分。ついに店内に入る。

一息つくもやはり目が痒くたまらなくなりとうとうコンタクトを片目だけはずす。視力が0.1無いので両方外してしまうと何も見えない。苦渋の選択である。

食券を買い席に座ってからも少し待つ。

だんだんと痒みも落ちついてきた。

心が澄んでくるのを感じる。

いざ塩らーめん。

明鏡止水。

 

今日の一品

「柚子塩そば(大盛り)」

 

「お待たせしました〜」

の声で痒みが吹き飛ぶ。

 

薄い金色のスープに自家製の中太縮れ麺が静かに佇む。

トッピングは水菜、チャーシュー、穂先メンマ、糸唐辛子、柚子の皮。

大盛りは無料。ワンタン入りも気になったがまだ貧乏学生なのでケチってしまいこちらに。

 

一口スープをすすって驚く。

柚子や…」

もはや”酸っぱさ”といっていいほどの柚子の主張。

いや、塩ラーメンとなるとすぐに柚子を入れ過ぎる昨今の現状には憂の声を上げていた。柚子は香りづけで少しあるのがいいんじゃないかと。そんな意志で持ってこれまで塩ラーメンと向かい合っていた。

しかしここまで吹っ切って前面に押し出されると、いとも簡単に自らの意志が崩れ落ちていくのを遠くかなたに聞いた。

柚子いいじゃん…」

もはや柚子がガツンと主張してこないラーメンには戻れない。そんな恐怖におののいている脳内を余所目に、蓮華を持つ手はスープを口に運ぶのをやめない。

 

縮れた自家製麺が、金色に輝くスープと同じく金色に輝く油とほどやく絡み合ってくれる。つるっとした食感も素晴らしい。

チャーシューはかなり薄い。だが噛み締めると旨味がぎゅっと凝縮されていたのがわかる。どこか中華街の叉焼の香りを感じたのは気のせいだろうか。このラーメンにはあまり主張しすぎないくらいのチャーシューが良いのですよ、という天からの声を勝手に受け取る。

メンマは穂先。これ真理。

水菜や糸唐辛子が果たす色彩面でのアシストも素晴らしい。

 

ひとり黙々と食べ続ける。

しかしその心の内は幸福感で溢れていた。気分は満開の桜並木。「ここで一句」とかやりたい。隣で醤油ラーメンを食べている客に塩ラーメンを食べさせてあげたい。同じ感動を無理矢理にでも味わわせたい!

しかし傍からは黙々と食べ続けるひとりの学生である。

 

食い切ったあとも続く爽快感。

きっと体から柚子の香りが漂っているだろう。そう思いながら東横線に乗り込み帰宅の途につく。

 

 

 

 

 

都心に雪、ペンギンからチーター

 

年に一度の都心での積雪、首都機能が一斉に麻痺し始める。

 

ゴジラが来襲するかのような勢いで、アナウンサーが雪の来襲を声高に報道する。八王子駅前は壊滅、新宿駅は帰宅難民に溢れ、毛利庭園は雪に踏み潰されていく。画面は雪に怯える都民で溢れかえり、スリップした自動車が路肩に積み上げられていく。

 

年に数回もないのだ、どこも雪の対策はおざなりになってしまう。

 

そしてこれは悪夢の始まりに過ぎない。

降り積もった雪は溶けて氷となり、通勤通学の都民を容赦なく滑らせる。そして容赦なくその醜態をNHKが全国放送する。末代までの恥であろう。

SNSでは雪国民からのアドバイスに溢れ大量の”いいね”を獲得するが、実践する都民は少ない。どんなにペンギン歩きが良いと雪国民から言われても、呼び名も歩き方もスタイリッシュではないためだ。いっそチーター歩きとかどうだろうか。2足歩行よりも安定するし。しなやかに4足歩行をするサラリーマン、牙を剥き威嚇するOL、傷を舐め合う小学生、チーター柄を着る大阪のおばちゃん。わくわくする。

 

雪かきをすればよいのだが、ここには住民の性格が色濃く出てしまうように思う。

自らの家のテリトリーを全て雪かきする者、玄関周辺の雪のみをどける者、全く雪かきをしない者。

たまに平均台のように細い範囲だけ雪かきをする者がいる。踏み外したら一巻の終わり、NHKに撮影され朝のニュースにて晒されるのが目に見える。全神経を張り巡らせ、対向者が来ないことを神に祈りながら進む。頭の中では『情熱大陸』のテーマが流れる。NHK職員は『プロフェッショナル〜仕事の流儀〜』のテーマソングであろう。そういうとこにNHKは厳しい。まぁとにかく歩きながらドキドキするなんて体験は、ここか戦場でしかそうそう味わえないのではないか。

雪が溶けきるまでの間、通りすがる者はみな、そこを雪かきした住民に思いを馳せる。この家の人は面倒臭がりなのだろう、この家はきっちりしている、なかなかぶっとんだ発想の家だなとか。そんなことを道行く人に思われていると意識すると下手に雪かきもできなくなる。これが雪かきのジレンマである。

 

どうやら明日また積雪があるらしい。首都圏は壊滅間近である。

 

深田百名山、その先へ

 

百名山というものがある。

 

山に登る者にとってこれほど心惹かれるワードはないし、山に登らない者にとっては鼻をかんだ後のちり紙に等しい価値を持つ。私は前者で、彼女は後者だ。ここには深い深い溝がある。

 

この百名山を記したのが、かの深田久弥である。もちろんこの名は山に登る者にしか広まっていない。彼女は深田恭子森繁久弥ならば知っているらしい。森重久弥を20代で知っているのなら大したものだ。

 

深田久弥は北陸に生まれ旧制一高に進学、その後文壇の仲間入りを果たす。しかしその実、深田は妻の書いた物語を下地に焼き直しをしているだけであった。清々しいクズである。その上浮気をしたものだから流石に妻も激怒、事の顛末を暴露され深田は文壇から総スカンを食らう羽目となる。そのおよそ10年後、彼の著した『日本百名山』(1964)が文学賞を受賞、一躍時の人に返り咲く。山岳紀行文の名手として多くの作品を残す。1971年、奥秩父に位置する茅ヶ岳に登山中に脳卒中に倒れ帰らぬ人となる。

 

深田百名山がここまで長く登り続けられるのには理由がある。”品格””歴史””個性”の3点を掲げ、全国の名だたる名峰を取り入れていること。そしてその紹介文は簡素に、しかし豊かな表現で持って語られていること。何より、山をただ”山”として捉え余分を排した真摯な視点が心を打つのだろう。

 

関西に住んでいた時に面白い話を聞いた。

”深田は東日本贔屓”というのがそれである。六甲山や金剛山葛城山、氷ノ山に京都北山と素晴らしい山々があるにも関わらず、ひねり出したように上越や東北の山々を百名山に入れているのはよっぽど西日本が嫌いなのでは、というのが彼らの主張だ。実際に登ってみると、どの山も宝石箱のように楽しさの粒が詰まっている。なるほど、確かに言う通りだ、と妙に納得したのを覚えている。

 

しかし『日本百名山』、読めば読むほどその選定は絶妙に思えてくる。さて、君は何を百名山に選ぶんだい?という深田の自慢げな顔が目に浮かぶ。彼女のどうでも良さげな顔もまた目に浮かぶ。

 

さて、ここでは何を百名山としようか。

 

 

 

 

思い立ったが吉日

 

思い立ったが吉日。

 

徒然なるままに過ごしていた日々を記録に残すためにブログを書こうと思う。

ただ哀しいかな、兼好法師のような文章力は無い。呆師くらいがちょうど良いだろうか。

 

徒然草は死後100年以上注目されなかったらしい。

このブログも陽の目を見るのは22世紀に入ってからだろう。

 

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22世紀に住む大学生K(22)は『平成時代における徒然草の扱いとその変遷』として卒業論文を書くことを思いつく。

彼は昭和時代を選ぶようなことはしない。なぜなら昭和は平成に比べ倍はあり調べるのが手間だからだ。その辺は抜け目ないKである。

ではなぜ徒然草か。これはつい先日、今はやりの課金ゲーム『Bungaku Girls Collection®️』でURキャラである卜部兼好が当たったためである。Kは肝心なところでの決断は適当にやる悪癖がある、というのは高校の担任談。

 

彼はバイトの合間に卒業研究を行い、参考資料の収集に努める。

ちなみに今では珍しい新聞配達のバイトをしているのがKの密かな誇りだ。仕事は販売所に座っているだけである。紙媒体をわざわざ手に入れようとする者は少なく、一部の好事家が販売所まで足を運んでくる(それも1日2〜3人程度だが)。そう、もはや配達とは名ばかりである、というのが3年間働き続けたKの感想である。

 

異常気象で秋雨前線が猛威を振るう中、Kは平成時代のブログにおける徒然草を調べ始める。多くの真面目な解説ブログを横目に、異彩を放つブログをKは見つける。

 

そこで彼は驚愕する。

自分の卒論のテーマやその決定理由とが書かれているからではない。『Bungaku Girls Collection®️』が100年前に予言されていることに対してである。重課金者であるKにとっては、自己への言及より『Bungaku Girls Collection®️』への言及の方が遥かに価値が重い。

 

彼はSNSにこのブログを書き込み、それによってこのブログが100年ぶりに一瞬の注目を浴びる。

 

 

…そう、これは予言書である。

 

 

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………。

 

とりあえず2点。

 

1つ目

余りにくだらない文章であったという反省。

 

2つ目

どうせならもう少しマシな予言をすべきだったという反省。