山と金麦

山と酒、漫画に文学。雑多な日常。備忘録。

深田百名山、その先へ

 

百名山というものがある。

 

山に登る者にとってこれほど心惹かれるワードはないし、山に登らない者にとっては鼻をかんだ後のちり紙に等しい価値を持つ。私は前者で、彼女は後者だ。ここには深い深い溝がある。

 

この百名山を記したのが、かの深田久弥である。もちろんこの名は山に登る者にしか広まっていない。彼女は深田恭子森繁久弥ならば知っているらしい。森重久弥を20代で知っているのなら大したものだ。

 

深田久弥は北陸に生まれ旧制一高に進学、その後文壇の仲間入りを果たす。しかしその実、深田は妻の書いた物語を下地に焼き直しをしているだけであった。清々しいクズである。その上浮気をしたものだから流石に妻も激怒、事の顛末を暴露され深田は文壇から総スカンを食らう羽目となる。そのおよそ10年後、彼の著した『日本百名山』(1964)が文学賞を受賞、一躍時の人に返り咲く。山岳紀行文の名手として多くの作品を残す。1971年、奥秩父に位置する茅ヶ岳に登山中に脳卒中に倒れ帰らぬ人となる。

 

深田百名山がここまで長く登り続けられるのには理由がある。”品格””歴史””個性”の3点を掲げ、全国の名だたる名峰を取り入れていること。そしてその紹介文は簡素に、しかし豊かな表現で持って語られていること。何より、山をただ”山”として捉え余分を排した真摯な視点が心を打つのだろう。

 

関西に住んでいた時に面白い話を聞いた。

”深田は東日本贔屓”というのがそれである。六甲山や金剛山葛城山、氷ノ山に京都北山と素晴らしい山々があるにも関わらず、ひねり出したように上越や東北の山々を百名山に入れているのはよっぽど西日本が嫌いなのでは、というのが彼らの主張だ。実際に登ってみると、どの山も宝石箱のように楽しさの粒が詰まっている。なるほど、確かに言う通りだ、と妙に納得したのを覚えている。

 

しかし『日本百名山』、読めば読むほどその選定は絶妙に思えてくる。さて、君は何を百名山に選ぶんだい?という深田の自慢げな顔が目に浮かぶ。彼女のどうでも良さげな顔もまた目に浮かぶ。

 

さて、ここでは何を百名山としようか。